街頭募金は信用できないのでEdy募金2011年03月20日 19時59分20秒

同じように考えている人も多いようですが、私も「街頭募金」は信用していません。

例え、制服を着た学生や子ども達が呼びかけていても、です。 なぜなら、子ども達には悪気がなくともその「背後の組織」に悪気がある場合があるからです。

なので、設置場所がどこであろうと、見た目がどうであろうと、「箱」には絶対に入れません。

少し「つぶやき」ましたが、お勧めは「Edy募金」です。 何がお勧めかというと、機種変更時の元の端末の残金が有効に使えるからです。

おサイフケータイでのEdyは機種変更時にチャージ金額を新しい端末へ送ることができますが、手数料がかかります。手数料をかけずに有効にチャージ金額を使いたければ新旧端末を持ち歩いて旧端末で「お買い物ゲーム」をやって、使い切らなければなりません。これが結構面倒。

最近だとW61K→W52SA→IS03と環境移行時に「お買い物ゲーム」をやろうとしていました。W61Kはゲーム終了していたのですが、W52SAは放置していました。

今回、Edyでの募金が1円単位で可能になったことで、W52SAの残金を有効に使うことが出来たと感じています。

ま、おおっぴらに「詐欺」はやらないだろうという前提で、ですが。

Cincom Developer’s Viking - Osaka Sessionに参加していたコドモ2010年10月27日 23時55分55秒

Cincom Developer’s Viking - Osaka Sessionに参加してきました。

マウスコンピュータのLuvPadの実物を見ることができました。

主催者側は厚意で実機を参加者に回覧してくれたのですが、結局、参加者の1/3程度は触ることが出来ませんでした。 私も触れなかった一人です。

なぜかって? スーツ着てるくせに「コドモ」だらけで、自分だけが長時間触っていたからです。ほんと、長時間触っていた彼らは程度が低いですね。社会性、公共性が欠如している。

プログラマは言葉と解釈の自動変換をしてはいけない2009年12月22日 23時47分42秒

現在、またまた短期で請けている助っ人案件ですが、基本設計、ポリシー設計などを行っています。

さて、私のμITRONベースのソフトウェア基本設計書でdly_tskでループしてdly_tskから起き上がるたびに他のタスクにタイムアウトイベントを通知するタイマータスクの実装を指示していました。

周期ハンドラの使い方が間違っている開発だったので新規追加部分ではタスクで大まかなタイマ監視を実現することが目的です。

設計書にも「タスク生成・タスク起動」とか、名前もタイマ監視「タスク」って書いているにもかかわらず、実装担当者は「周期ハンドラ」を生成していました。 いちいちコードは見ないので「出来た」ということばを信じて任せていたら、デバッグで動かない。

なんせ、周期ハンドラでdly_tsk(1)などをコールしているものだからぜんぜん駄目です。wdtでシステムがリセットしてしまいます。 周期ハンドラでdly_tsk()は使えません。待てないんだから。 多分処理的には永久ループになってしまう。

今回のプログラマ向けの教訓は以下です。

  1. 自分を信じて、自分の思い込みで言葉の自動変換をしてはいけない
  2. 仕様書に書いてあることをそのまま実装することを心がける
  3. タスクはタスク、ハンドラはハンドラ。違うものだよ!!
  4. 設計者が間違っていて自分が正しいと思ったらきちんと実装前に意見する

のだめに学ぶこと2009年12月21日 23時30分22秒

組込みシステムを開発しているソフトウェアエンジニアの質の悪さをどうやったら解消できるのかを結構真面目に考えているのですが、「のだめ」を観ていたら音楽の世界に数多くのヒントがあることに気付きます。 まさに映画館で「のだめ」を観ながら考えていました。

のだめの才能に気付いて育てるということをかなり長い目で周りの人間が支援しますよね。ここで重要なのは、「才能を見出す力を持った指導者」の存在です。

ところが、組込みソフトウェアを開発するようなエンジニアの世界を見ると、単なる会社組織だったりするわけです。 才能や能力を適切に評価できない人間の集まりが会社といっても過言ではない。 組込みソフトウェア開発が必要なメーカの会社組織自体がそういった会社です。

こんな普通の会社の上司とか部下というようなことでは才能や能力の見極めが出来るはずがない。

一方でエンジニアの質が悪くても上に立てるとか、そういったことができる可能性がある会社は凡人にとっては都合の良い組織だったりします。 天才が押しつぶされて凡人が上にのし上がれる唯一の組織が会社なのだから。

そういう意味では音楽の世界はうらやましくもあり、厳しくもあり。

  1. 才能を見出す指導者もしくは仲間の存在
  2. 実力主義
  3. 結果主義
  4. 年齢制限無し

音楽の世界のように「オーディション」でもするような文化になれば業界も変るとは思うのですが、オーディションで審査できる人間がほとんどいないというところから改善しないとねぇ。 凡人が審査すると何も変らない。

あ、そうそう、そういう視点(存在や価値を他者に認知してもらえるかどうか)では「ディケイド」の世界もそういう側面があるのかも。

久しぶりの「アカ」2009年11月01日 23時44分09秒

恒例の映画の日の今回の映画は「沈まぬ太陽」です。

「2001年宇宙の旅」以来の休憩ありの映画でした。

労働組合の委員長を務めた渡辺謙が海外たらいまわし人事に翻弄される中で自分の信念を曲げずに「会社のために」働く話です。

簡単に会社を辞めてきた私には到底理解することが出来ない生き方ですが、卑劣な行動か潔い行動かという規範で比較すれば渡辺謙の生き方に共感できるところが多いのも事実です。 ※但し、こちらの情報を見る限りでは会社側も複数の労働組合全てに対しても余り共感は出来ないですね。

実は私自身は共産主義者でもなんでもないのですが、そういった思想的な背景に関わらずに言っていることに共感できるかできないかという視点で見るとどちらかといえば「アカ」なんだと思います。

だから、大企業のエンジニアが自分の信念や技術的な妥当性よりも会社の組織的な都合だけで動くという行動原理には反発してしまうんですね。 とは言え、会社組織が大きくなるということ自体に本質的な弊害があることも明らかなわけで、それに振り回される人たちに罪があるわけでもないですね。そんな会社がなければ私が開発できるような仕事も発生しないというジレンマもあるわけで、結局は迎合せざるを得ないということも現実としてはあります。

ま、どんな状況でも策略によって他人を陥れるようなことだけはしないような生き方は貫きたいとは思います。